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門前掲示板 2023年(令和5年)11月

 新しい「領解文」における文言において、特に問題となっているのは、『私の煩惱と仏のさとりは 本来一つゆえ 「そのまま救う」が弥陀の呼び声』という箇所です。

 仏願の生起本末である、法蔵菩薩の五劫思惟・兆載永劫のご修行及びそれに付随する機の深信が抜け落ちた無条件の救いになっているという批判です。

 これは、如来の仰せの「そのまま」を、凡夫の側で「このまま」と受け取る持ち替えに通じるものであり受け取り損ないであります。

 江戸時代末期の学僧である一蓮院秀存がお同行に「そのままのおたすけぞ」と言われたのに対して「このままのおたすけですか」と答えたことに、「ちがう」と言われました。また、石見のの才市が「このままとはちがいます。ことばはよいが、むねにじりきの根がのこる」と書いておられます。

門前掲示板 2023年(令和5年)11月

 2023年1月16日にご門主が御消息で発布された『新しい「領解文」』が宗門内で論義を呼んでいます。総局が内容説明のために各教区を回っていますが、理解者は殆どおらず、解決策も八方塞がりの状態で混迷の度を深めています。江戸時代中期に宗門全体を揺るがした三業惑乱以来の危機に発展する様相です。

 新しい「領解文」における文言において、特に問題となっているのは、『私の煩惱と仏のさとりは 本来一つゆえ 「そのまま救う」が弥陀の呼び声』という箇所です。

 仏願の生起本末である、法蔵菩薩の五劫思惟・兆載永劫のご修行及びそれに付随する機の深信が抜け落ちた無条件の救いになっているという批判です。

 これは、如来の仰せの「そのまま」を、凡夫の側で「このまま」と受け取る持ち替えに通じるものであり、本願招喚のお勅命の受け取り損ないであります。

参道入口掲示板 2023年(令和5年)11月

 人の死の表現として、「亡くなる」「逝去する」「他界する」「永眠する」「昇天」などがありますが、消失ないしは行き先不明の概念が感じ取れます。

 それに比して「往生」はお浄土に生まれるという明確さがあります。息が切れたと同時の往生ですから、今生の死と浄土往生は重なります。

 死は終わりをイメージしますが、その先を展望しますと、お浄土に生まれると考えた方が自然でしょう。

門前掲示板 2023年(令和5年)10月

 宗祖のお書きになられたものとして、落丁があり不完全なものですが、『弥陀如来名号徳』というものがあります。

 そこには、十二光についての解説がありますが、名号の徳についても述べられています。書物の題名からも、光明は名号の徳義を表すものであるという解釈を示されたものと推察できます。

 他力の念仏者は、阿弥陀如来の智慧の光に照らされているということでしょう。

参道入口掲示板 2023年(令和5年)9月

 領解文に「御たすけそうらえとたのみもうしてそうろう」とあり、また御文章の末代無智章に「阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて……一心一向にたすけたまえ」とあります。

 「たすけそうらえ」「たのみもうして」また「たのみまいらせて」「たすけたまえ」は、「阿弥陀さまどうかお助けください」という意味ではありません。「阿弥陀さまどうぞあなたさまのお心のままにお助けになってください。お任せします」という意味です。


 浄土真宗は、仏さまにお願いする宗教ではありません。

門前掲示板 2023年(令和5年)9月

 宗祖のお書きになられたものとして、落丁があり不完全なものですが、『弥陀如来名号徳』というものがあります。

 そこには、十二光についての解説がありますが、名号の徳についても述べられています。書物の題名からも、光明は名号の徳義を表すものであるという解釈を示されたものと推察できます。

 他力の念仏者は、阿弥陀如来の智慧の光に照らされているということでしょう。

参道入口掲示板 2023年(令和5年)

 経典拝読の最後の結びとして回向句を勤めます。その中に 「同発菩提心」とあります。

 如来のご廻向により浄土へ参る思いが生じます。

 二河譬にも「一心正念にして直ちに来たれ」との弥陀の招喚があります。

 世間に惑わされずに浄土の方へ歩んで来なさいという悲痛な親の叫びなのでしょう。

門前掲示板 2023年(令和5年)8月

 父である前住職加茂仰順和上の17回忌を2023年7月22日に勤めさせていただきました。

 父は晩年「助けるぞの仰せを、ハイといただく」のですよ、ということしか語りませんでした。1座2席の90分の法話は、その繰り返しだけで終わったのです。徹底していました。法座に参られたお同行にそれを何度も復唱させるのでした。

 学者の端くれとしての父がいただいた安心(あんじん)の絞ったところなのでありましょう。

参道入口掲示板 2023年(令和5年)7月

 念仏相続と言われるのは、法然聖人のように日に6万遍7万遍されるものでありましょう。しかし、世知辛い生活の場の中で途切れ途切れに出る念仏もやはり相続と言えるのかも知れません。

 夜寝るときお出ましになります。朝起きるとまた出てくださいます。いっとき忘れていたものがお昼にひょこっとまたでてくださいます。その時気持ちが落ち着きます。

 何時出てくださるか、我ながら分かりません。

門前掲示板 2023年(令和5年)

 宗祖は、信心の智慧・智慧の念仏と言われました。念仏は智慧そのものであります。

 私の口を開かせベロを動かさしめ、声となってお出ましになります。経の体とされた名号は、阿弥陀如来が案じ出したもうた我等衆生救済の妙法なのでありましょう。その原動力に突き動かされて浄土に生まれさせていただきます。

 飽くまでも凡夫の姿を赤裸々に見せしめながら。

参道入口掲示板 2023年(令和5年)6月

 5月25日長野県中野市で4人を殺害した事件の犯人の青木政憲さん (31歳)は、死亡した近所の女性2人に「(ひとり)ぼっち」と言われたと思って恨みを爆発させたと語ったそうです。

 父正道さんの経営する農園やジェラート店には政憲さんの名前が付けられていたそうです。家族のみんなの願いが政憲さんに掛けられていたことでしょう。

 人間は本質的に独生独死であります。しかし、親や亡くなった祖父母に願われ、阿弥陀如来にどうか救われて欲しいと願われていたに違いありません。

門前掲示板 2023年(令和5年)

 仏教説話に「キサーゴータミー」の幼な児を亡くした話があります。また上皇后さまが子どもたちによく語っておられた新美南吉の「でんでんむしのかなしみ」という童話があります。

 どちらも、悲しみから抜け出ることができない人生の中で、懸命に生きようと決心する人生の避けられない本質が語られています。そこで救いが入る素地が生まれるのでしょう。


参道入口掲示板 2023年(令和5年)5月

 勇んで浄土へ参る気が薄い私を我が子以上に生まれさせようとご腐心なされている阿弥陀如来にお任せする以外に救われる道はありません。なんとか救うなんとか救うと働きづめの如来のみ心のままにどうかお救いくださいませというお勅命信順の姿を表します。

門前掲示板 2023年(令和5年)4月

 口から出る十悪は、私を支配しています。濁り汚れた存在である私を南無阿弥陀佛は抛っていませんでした。

 私に至り届き、裂けても称えなかったこの口から「ナマンダブ」と一声飛び出すとは、まことに不思議なことでありました。

参道入口掲示板 2023年(令和5年)

 16歳の時から読んだドストエフスキーから人間の心の奥底の不気味さを学びました。人間の深層心理には、深い洞察力をもってしても見抜けない悍ましい感情が蠢いていることを共感しました。

 更に、親鸞聖人から煩惱そのものとも言える人間存在のどうしようもなさを教わり、阿弥陀如来の功徳によって常に照らされる身とならせていただいた暁には、唯念仏しかありません。

門前掲示板 2023年(令和5年)2月

 大谷光真前門主は、世界宗教者会議で、浄土真宗の信仰は名詞形で語ると発言されたそうです。他の宗教はすべて「believe」などのように動詞で表現します。

 浄土真宗においては、名号という仏辺の物柄が届いて信心という信じている状態を作る限りにおいては、賜りたる信心と言ってよい。本願力廻向によって信ぜしめられたのである。


参道入口掲示板 2023年(令和5年)1月

「死んでも死にきれない」という慣用語があります。あまりに残念で、このままでは死ぬことができないという意味です。誰しも自らの死を受け入れることは簡単ではなく煩悶するでしょうが、仏さまの手立てをいただいた暁にはひと味違うものが恵まれます。

お浄土から「安心してこちらへ来なさい」と喚ばれ、「大丈夫だから往きなさい」との励ましに遇ったものは、死を前向きに受け取って死に逝くことができます。死という一世一代の大仕事を遣り遂げ、南無阿弥陀佛に寄り添われて浄土へ生まれていくことができます。

門前掲示板 2022年(令和4年)12月

阿弥陀如来の功徳、南無阿弥陀佛(名号)が至り届いて私の中ではたらきます。現生正定(げんしょうしょうじょう)の身であれば、お浄土が約束された安堵の日暮らしが始まります。良寛さんのように、死ぬ時節には死ぬがよく候ふの心境で悠々自適とまではいかなくても、命の根本についての不安はなくなり落ち着きます。生きながらにして往生という目的は達成したも同然の身となりますので、生きてよし死んでよしの心境が開けます。常に目的を設定して齷齪(あくせく)しながらしか生きられないとすれば不幸です。人生晩年、目的の中で遊ぶこと以上の楽しみ方は恐らくないことでしょう。

参道入口掲示板 2022年(令和4年)11月

相続という言葉は、親から子というように、他者から受け継ぐという意味に解釈されます。

信心の行者における相続は、如来のお喚び声が聞こえたまんまのお念仏が、信心開発以来片時も離れず零(こぼ)れてくださり、取り出しては喜び、取り出しては喜ぶことになります。息が切れるまで相続き支えてくださるのです。


参道入口掲示板 2022年(令和4年)10

老苦は、若年での頓死以外は必ず味あわなければならない必然のものであります。医療の予防的措置の発達した現代において、誰も避けて通れない道です。老いの現実を生きるときその先に浄土が用意されていると思えば、もうひと頑張りと思いながら死に逝き死に切ることができるでありましょう。


門前掲示板 2022年(令和4年)

平家物語に「驕れるもの久しからず 春の夜の夢のごとし」とありますように、諺としても「地位や権力・財力を恃みにし、思い上がった振る舞いをする者は、永く続かずいずれ滅びる」というような意味として使われます。

往生人の障げをする悪見人は多く、互いにも相惑乱し合い、自ら罪を造り己が業の赴くところへ去って行きます。


参道入口掲示板 2022年(令和4年)8月

 とかく差別しがちなこの世において、本当の平等心を持つ人がいるだろうか。少なくとも仏さまは評価できる人はいないと見ておられる。みんな心相羸劣(しんそうるいれつ)であり、大同小異の凡夫と評価される。

 そういうお互いであれば、己の非を認め合い譲り合う以外共存の道はないことになる。

 妙好人足利源左さんの父親の言葉「おらが死んだら親さまをたのめ」は、コレラに罹った断末魔の苦しみの中でようやく発せられた父親の源左を気遣う究極の言葉として18歳の源左に響きました。

 このこと以外は枝葉末節のことでありましょう。

 大津西組の行事として、毎年「真宗講座」を開催していましたが、ご門信徒の以外の方々にも対象を広げ「公開講座」と銘打って開くことになりました。

 来る10月14日(金)13:30~、&19:30~、長門市文化会館ラポールゆやを会場に参加費無料で開催します。

門前掲示板 2022年(令和4年)

 欲などの妄念に突き動かされてああしたいこうなりたいと願って行きますが、切りがありません。自らの思いを叶えようと躍起になる人に安らぎはないことでしょう。

 阿弥陀如来から願われ、その暖かいお慈悲の中で落ち着きます。躍起になるほどに求めるものはもうありません。

 既に目的の中に居るのですから。

参道入口掲示板 2022年(令和4年)

 凡夫の知恵ではどこまで行っても闇は晴れません。無明という根本的な愚かさは、娑婆では付ける薬がないのでしょう。如来の真実の智慧の光に照らされて漸く晴れます。

 南無阿弥陀仏の名号は智慧の光明の徳義を持つと言われます。

 曇鸞大師は称名破闇と言われました。

門前掲示板 2022年(令和4年)6月

 浄土真宗は平生の信の一念で往生が定まります。慈光照護の下、念仏相続の仏恩報謝の勤しみを精一杯させていただくばかりです。如来さまにお任せの人生は何と安心なことか。どう転んでも如来のみ手の中。平生業成で生き、正定滅度で往く。


参道入口掲示板 2022年(令和4年)6月

 蛇蝎奸詐のこの身であれば清浄な心はどこにもない。善も雑毒であるからには、空しいばかりである。欠片としての善を良心と名付けるなら、唯一惡の自覚を良心と呼びたい。お恥ずかしやという慚愧のこころが自らを僅かに諫める。


門前掲示板 2022年(令和4年)5月

 お釈迦様はダンマパダに自他の立場を入れ替えてみなさいと言われました。自分がしてほしくないことは、他人も厭でしょう。どんな生きものも死にたくない、生きたいのです。殺生してはいけません。殺生しながら生きる私たちは、慚愧のこころで生きるのです。ロシアによるウクライナ侵攻が続いています。殺人は惡の筆頭であり、国家という大義があるように思うのは人間の妄想です。


参道入口掲示板 2022年(令和4年)5月

 プーチン大統領は演説しました。「祖国の命運が決するとき、祖国を守ることは常に神聖なことだった。」と。

 独裁者は常に祖国を守るためといって、自分の利益のために他国や場合によっては国内の敵対勢力と戦わせる。国を守れ、家族を守れと為政者が言い出したら警戒すべきである。日本国憲法9条第2項には「国の交戦権はこれを認めない」とあり、国益を御旗に掲げて下々の国民に戦わせようとする非人道的な勢力が国内に常に存在する。


門前掲示板 2022年(令和4年)

 飛行機を乗っ取り、目的のものを手に入れようとするのがハイジャックです。そのことを知った乗客はパニックですが、知らないまま悲劇を迎えることもあります。

参道入口掲示板 2022年(令和4年)4月

 2018年にご門主がご親教の中で述べられた「私たちのちかい」の3番目に「自分だけを大事にすることなく 人と喜びや悲しみを分かち合います

慈悲に満ちみちた仏さまのように」というのがあります。

 自分だけを大事にする風潮が広がっています。自己の思いを叶えよう遂げようとすることによって却って自分を追い詰め損なうことに繋がっていきます。息詰まる世界から船出してみると、もっと自由な広い世界があることに気付きます。


門前掲示板 2022年(令和4年)


 形あるものは滅ぶ。命あるものは死す。私たちは見えるものを拠り処に生きている。何と虚しいことか、悲しいことか。私たちの目には見えないが確かなものがあるとの仰せ。いただいてみるとまことありがたい。

参道入口掲示板 2022年(令和4年)3月

 仏説阿弥陀経の六方段「汝等衆生当信是称讃不可思議功德一切諸仏所護念経」は、どの仏さまも口を揃えて口酸っぱく諄いほど仰せです。

 深川倫雄和上は、この一節を、「どうか一声念仏称えてくれよ」との仰せと解釈されました。

参道入口掲示板 2022年(令和4年)2月

 何とか救う、何とか救うと如来は私に喚びかける。他人ごとではない、我が事とひとたび気付かせていただくと、妄念の中でも柔和忍辱の境地。不思議と落ち着いていられる。命果てるまで。


門前掲示板 2022年(令和4年)1月

 信心深いことはどの宗教にとっても大切でしょう。信仰ということが自分の力で励むことであれば信仰心を深めていくことは大切なことかも知れません。しかし、阿弥陀さまの仰せを聞くばかりの私には信心の持ち合わせはありません。敢えて言えば阿弥陀さまからいただいたことになります。

 法然聖人が「賜りたる信心」と仰せになったことからしますと、真実信心の中身に違いはなく、老若男女生まれや育ちが違おうとも、一つの信心ですし味わいも同じです。ですから、同信の者には相通ずる御同朋の世界が開け、極苦のこの世を生き抜くこともできます。



参道入口掲示板 2022年(令和4年)1月

 最近、インフルエンサーということばがよくでてくるようになりました。主にSNSの世界を中心に影響力を発揮する人のことをいうようです。

 乃木坂46が歌う歌「インフルエンサー」の歌詞にもあるように、恋愛感情を起こさせるようなことも含めて他者に影響力を及ぼす人の総称とも解釈できます。

 有用な情報を選んでいるつもりが、逆にカリスマインフルエンサーに煩惱を擽(くすぐ)られ、いつの間にか自縄自縛なる煩惱の奴隷にされていることに気付かないように見えます。

門前掲示板 2021年(令和3年)12月

 阿弥陀さまは、罪深い私達を救うためにご苦労されて名号を仕上げられました。

 ナマンダブと称える私の声はそのまま「タスケルゾ」の阿弥陀さまの喚び声となってはたらきます。名号は往生成仏の特効薬です。飲めば確実に効きます。


参道入口掲示板法語 2021年(令和3年)11月

 およそ30年前のことを思い出しました。小・中学生を集めて教えていたときのことです。生徒さんは保護者が送り迎えしますが、ある時たまたま何人かの生徒さんをワゴン車で送りました。車中である生徒さんから「先生、ナマンダブってどういう気持ちで言うんですか」と訊かれました。「どうにもならないという気持ちかなあ」と答えたことを覚えています。自身、変な応えをしてしまったかなあという気持ちがしていました。

 ご法義はよく四字熟語で語られます。「自力無効」と「他力全託」。また「捨自帰他」や「捨機択法」などがあります。私のいのちの根本については「どうにもならない」ことであると聞かせていただくことは、「任せよ」の阿弥陀さまの仰せにお任せをしたことになります。「どうにもならん」と「大安心」は矛盾しないひとつのことであるのでしょう。


門前掲示板法語 2021年(令和3年)11月

 宮沢賢治さんの詩は小学校で習い感動しました。「雨ニモマケズ 風ニモマケズ ……ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ」というものです。

 大谷光淳ご門主さまは、2018年11月23日の秋の法要において『私たちのちかい』を発表されました。その3番目に「自分だけを大事にすることなく 人と喜びや悲しみを分かち合います。慈悲に満ちみちた仏さまのように」を掲げられました。ここにありますように、仏さまの真似事でしかない僅かなことかも知れませんが、自分なりに尽くさせていただきたい思いがしています。


参道入口掲示板法語 2021年(令和3年)10月

 私の思いは煩惱のバイアスが掛かっています。他者によかれと思うことまでも自己都合に終始しています。具体的に何を思うというのでなくても妄念に浸かった状態であります。

 しかし、不思議にも南無阿弥陀佛の薬を処方され、これを飲んで念仏させていただく身とならせていただいてからは、何を仕出かすか知れない自分の闇の深さを知らされ、常に警戒する姿勢が生まれます。主客が入れ替わり、如来を主人として仰ぎ自分を客人としながら歩む人生行路は落ち着いています。


参道入口掲示板法語 2021年(令和3年)9月

 上にいくほど責任を負わなくてよい社会になりました。権力で身内をかばい、利害関係者だけを優遇し、証拠を隠滅して、やましいことを秘匿することがまかり通るようになりました。

 ペシャワール会の中村哲さんの言葉はその対局にあり、如来の無縁の慈を感じさせます。彼がクリスチャンということを承知した上でも。 

参道入口掲示板法語 2021年(令和3年)8月

 子どものころ見た仏教童話の絵本に、虎は強いけれど体の中の虫にやられてしまう話があったのを思い出しました。人間もあの小さなコロナウィルスに大騒動するのを目の当たりにすると、この世に絶対的強者はいないことを思い知らされます。

 それと同時に、この世は殺し合いの五濁悪事悪世界であり、すべてのものがどうあっても救われなければならないことを痛感しました。

門前掲示板法語 2021年(令和3年)8月

 背中の殻に悲しみが詰まり、重くてとても耐えられないと思っていたでんでん虫が、おともだちのでんでん虫も同じように辛い中を生きているのを知り、自分も悲しみこらえて生きて行こうと決心しました。

 この童話作家新美南吉のこのでんでん虫のように、歳を重ねると祖父母と別れ、両親と別れ、伴侶・きょうだいと別れ、場合によっては子や孫と別れなければなりません。悲しみを一つ一つの背負って生きるのでしょう。

 次男の自死から3年、お念仏の中にいつも一緒です。お浄土でまた会えると思うて念仏してくれよの如来の仰せが響きます。