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参道入口掲示板 2022年(令和4年)8月

 妙好人足利源左さんの父親の言葉「おらが死んだら親さまをたのめ」は、コレラに罹った断末魔の苦しみの中でようやく発せられた父親の源左を気遣う究極の言葉として18歳の源左に響きました。

 このこと以外は枝葉末節のことでありましょう。

 大津西組の行事として、毎年「真宗講座」を開催していましたが、ご門信徒の以外の方々にも対象を広げ「公開講座」と銘打って開くことになりました。

 来る10月14日(金)13:30~、&19:30~、長門市文化会館ラポールゆやを会場に参加費無料で開催します。

門前掲示板 2022年(令和4年)

 欲などの妄念に突き動かされてああしたいこうなりたいと願って行きますが、切りがありません。自らの思いを叶えようと躍起になる人に安らぎはないことでしょう。

 阿弥陀如来から願われ、その暖かいお慈悲の中で落ち着きます。躍起になるほどに求めるものはもうありません。

 既に目的の中に居るのですから。

参道入口掲示板 2022年(令和4年)

 凡夫の知恵ではどこまで行っても闇は晴れません。無明という根本的な愚かさは、娑婆では付ける薬がないのでしょう。如来の真実の智慧の光に照らされて漸く晴れます。

 南無阿弥陀仏の名号は智慧の光明の徳義を持つと言われます。

 曇鸞大師は称名破闇と言われました。

門前掲示板 2022年(令和4年)6月

 浄土真宗は平生の信の一念で往生が定まります。慈光照護の下、念仏相続の仏恩報謝の勤しみを精一杯させていただくばかりです。如来さまにお任せの人生は何と安心なことか。どう転んでも如来のみ手の中。平生業成で生き、正定滅度で往く。


参道入口掲示板 2022年(令和4年)6月

 蛇蝎奸詐のこの身であれば清浄な心はどこにもない。善も雑毒であるからには、空しいばかりである。欠片としての善を良心と名付けるなら、唯一惡の自覚を良心と呼びたい。お恥ずかしやという慚愧のこころが自らを僅かに諫める。


門前掲示板 2022年(令和4年)5月

 お釈迦様はダンマパダに自他の立場を入れ替えてみなさいと言われました。自分がしてほしくないことは、他人も厭でしょう。どんな生きものも死にたくない、生きたいのです。殺生してはいけません。殺生しながら生きる私たちは、慚愧のこころで生きるのです。ロシアによるウクライナ侵攻が続いています。殺人は惡の筆頭であり、国家という大義があるように思うのは人間の妄想です。


参道入口掲示板 2022年(令和4年)5月

 プーチン大統領は演説しました。「祖国の命運が決するとき、祖国を守ることは常に神聖なことだった。」と。

 独裁者は常に祖国を守るためといって、自分の利益のために他国や場合によっては国内の敵対勢力と戦わせる。国を守れ、家族を守れと為政者が言い出したら警戒すべきである。日本国憲法9条第2項には「国の交戦権はこれを認めない」とあり、国益を御旗に掲げて下々の国民に戦わせようとする非人道的な勢力が国内に常に存在する。


門前掲示板 2022年(令和4年)

 飛行機を乗っ取り、目的のものを手に入れようとするのがハイジャックです。そのことを知った乗客はパニックですが、知らないまま悲劇を迎えることもあります。

参道入口掲示板 2022年(令和4年)4月

 2018年にご門主がご親教の中で述べられた「私たちのちかい」の3番目に「自分だけを大事にすることなく 人と喜びや悲しみを分かち合います

慈悲に満ちみちた仏さまのように」というのがあります。

 自分だけを大事にする風潮が広がっています。自己の思いを叶えよう遂げようとすることによって却って自分を追い詰め損なうことに繋がっていきます。息詰まる世界から船出してみると、もっと自由な広い世界があることに気付きます。


門前掲示板 2022年(令和4年)


 形あるものは滅ぶ。命あるものは死す。私たちは見えるものを拠り処に生きている。何と虚しいことか、悲しいことか。私たちの目には見えないが確かなものがあるとの仰せ。いただいてみるとまことありがたい。

参道入口掲示板 2022年(令和4年)3月

 仏説阿弥陀経の六方段「汝等衆生当信是称讃不可思議功德一切諸仏所護念経」は、どの仏さまも口を揃えて口酸っぱく諄いほど仰せです。

 深川倫雄和上は、この一節を、「どうか一声念仏称えてくれよ」との仰せと解釈されました。

参道入口掲示板 2022年(令和4年)2月

 何とか救う、何とか救うと如来は私に喚びかける。他人ごとではない、我が事とひとたび気付かせていただくと、妄念の中でも柔和忍辱の境地。不思議と落ち着いていられる。命果てるまで。


門前掲示板 2022年(令和4年)1月

 信心深いことはどの宗教にとっても大切でしょう。信仰ということが自分の力で励むことであれば信仰心を深めていくことは大切なことかも知れません。しかし、阿弥陀さまの仰せを聞くばかりの私には信心の持ち合わせはありません。敢えて言えば阿弥陀さまからいただいたことになります。

 法然聖人が「賜りたる信心」と仰せになったことからしますと、真実信心の中身に違いはなく、老若男女生まれや育ちが違おうとも、一つの信心ですし味わいも同じです。ですから、同信の者には相通ずる御同朋の世界が開け、極苦のこの世を生き抜くこともできます。



参道入口掲示板 2022年(令和4年)1月

 最近、インフルエンサーということばがよくでてくるようになりました。主にSNSの世界を中心に影響力を発揮する人のことをいうようです。

 乃木坂46が歌う歌「インフルエンサー」の歌詞にもあるように、恋愛感情を起こさせるようなことも含めて他者に影響力を及ぼす人の総称とも解釈できます。

 有用な情報を選んでいるつもりが、逆にカリスマインフルエンサーに煩惱を擽(くすぐ)られ、いつの間にか自縄自縛なる煩惱の奴隷にされていることに気付かないように見えます。

門前掲示板 2021年(令和3年)12月

 阿弥陀さまは、罪深い私達を救うためにご苦労されて名号を仕上げられました。

 ナマンダブと称える私の声はそのまま「タスケルゾ」の阿弥陀さまの喚び声となってはたらきます。名号は往生成仏の特効薬です。飲めば確実に効きます。


参道入口掲示板法語 2021年(令和3年)11月

 およそ30年前のことを思い出しました。小・中学生を集めて教えていたときのことです。生徒さんは保護者が送り迎えしますが、ある時たまたま何人かの生徒さんをワゴン車で送りました。車中である生徒さんから「先生、ナマンダブってどういう気持ちで言うんですか」と訊かれました。「どうにもならないという気持ちかなあ」と答えたことを覚えています。自身、変な応えをしてしまったかなあという気持ちがしていました。

 ご法義はよく四字熟語で語られます。「自力無効」と「他力全託」。また「捨自帰他」や「捨機択法」などがあります。私のいのちの根本については「どうにもならない」ことであると聞かせていただくことは、「任せよ」の阿弥陀さまの仰せにお任せをしたことになります。「どうにもならん」と「大安心」は矛盾しないひとつのことであるのでしょう。


門前掲示板法語 2021年(令和3年)11月

 宮沢賢治さんの詩は小学校で習い感動しました。「雨ニモマケズ 風ニモマケズ ……ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ」というものです。

 大谷光淳ご門主さまは、2018年11月23日の秋の法要において『私たちのちかい』を発表されました。その3番目に「自分だけを大事にすることなく 人と喜びや悲しみを分かち合います。慈悲に満ちみちた仏さまのように」を掲げられました。ここにありますように、仏さまの真似事でしかない僅かなことかも知れませんが、自分なりに尽くさせていただきたい思いがしています。


参道入口掲示板法語 2021年(令和3年)10月

 私の思いは煩惱のバイアスが掛かっています。他者によかれと思うことまでも自己都合に終始しています。具体的に何を思うというのでなくても妄念に浸かった状態であります。

 しかし、不思議にも南無阿弥陀佛の薬を処方され、これを飲んで念仏させていただく身とならせていただいてからは、何を仕出かすか知れない自分の闇の深さを知らされ、常に警戒する姿勢が生まれます。主客が入れ替わり、如来を主人として仰ぎ自分を客人としながら歩む人生行路は落ち着いています。


参道入口掲示板法語 2021年(令和3年)9月

 上にいくほど責任を負わなくてよい社会になりました。権力で身内をかばい、利害関係者だけを優遇し、証拠を隠滅して、やましいことを秘匿することがまかり通るようになりました。

 ペシャワール会の中村哲さんの言葉はその対局にあり、如来の無縁の慈を感じさせます。彼がクリスチャンということを承知した上でも。

参道入口掲示板法語 2021年(令和3年)8月

 子どものころ見た仏教童話の絵本に、虎は強いけれど体の中の虫にやられてしまう話があったのを思い出しました。人間もあの小さなコロナウィルスに大騒動するのを目の当たりにすると、この世に絶対的強者はいないことを思い知らされます。

 それと同時に、この世は殺し合いの五濁悪事悪世界であり、すべてのものがどうあっても救われなければならないことを痛感しました。

門前掲示板法語 2021年(令和3年)8月

 背中の殻に悲しみが詰まり、重くてとても耐えられないと思っていたでんでん虫が、おともだちのでんでん虫も同じように辛い中を生きているのを知り、自分も悲しみこらえて生きて行こうと決心しました。

 この童話作家新美南吉のこのでんでん虫のように、歳を重ねると祖父母と別れ、両親と別れ、伴侶・きょうだいと別れ、場合によっては子や孫と別れなければなりません。悲しみを一つ一つの背負って生きるのでしょう。

 次男の自死から3年、お念仏の中にいつも一緒です。お浄土でまた会えると思うて念仏してくれよの如来の仰せが響きます。